ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

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無事です!

こるくです。

生きています。

家族全員 無事でいます。

7人で 近所の親戚宅に避難…居候しております。

残念だけど、ヨンは 地震から姿がありません。津波で流されてしまった様です。


家は 浸水して住める状態ではありません。
片付けに通っています。

まだ 住む家も何も決まっていないですが

とにかく、無事です。

メールをくれたみなさん、ありがとうございました。

安否を心配しての コメントもありがとうございました。


子供達とみんなで一緒にいます!


また、みんなでお喋りできる事を願って…!
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ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/04/10 00:56 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(3)

復活、記録すると決めたから。

久しぶりなのでちょっと緊張して書いています。

こるくは今 自宅にて、パソコンでこの記事を書いています!

こんなふうに このブログに戻ってこれることができるなんて
夢にも思わなかった。

自宅って、そう。もともと住んでいた家です。
家を直してまたみんなで住むことになり 工事も終わってかえってきました!
パソコンは、2階にあったジッチのノートPCが津波から生き残ったので
お下がりでもらいました。
経済的なことも考えたけど、やはり ネット環境はいまや当たり前。
子供たちにも必要ってことでブロードバンドも再度申し込み!

やっと ここまできましたー(´;ω;`)

じつは

震災後に父方の叔父の家に2ヶ月半位お世話になり、
その後はダンナの実家に4ヶ月ほどお世話になりました。

そして、いろんなことがあって
10月2日に引っ越して戻ってきてました。

何から書いていいのやら、頭が混乱?興奮?していますが

本当は 普通の日常を、趣味を また書いていこうかなって思ってましたが
なにも 書けなかった・・・。
てか、もう、前みたいに書けない。


あまりにも 環境の変化が激しくて。

まだ 趣味のことに手がのびる余裕もなく・・・


やっと日常にもどってきたら、今度は 疲れ?がどど~っと押し寄せてきて、
いや、緊張の糸がぷっつんとキレた感じで?
現在、頭と体がばらばらな状態です。

震災の後から家に戻るまでのことも 3月11日のあの時のことも 毎日が精一杯で
だんだんと 薄れてきてしまっていたけど
最近になって (とくにネットが使えるようになって)
あれはなんだったのか、
あの時 世間はどうなっていたのか
私たちの街はどんなふうになっていたのか・・・と

(私は つい最近、震災時のニュースや津波映像、地震速報ニュース、特番もやってたことを知り、
しばらくYOU TUBEに釘付けでした。
こちら石巻は揺れたあとすぐ停電で なにもわからなかったので、すごい驚きでした。)

生活環境が落ち着いて
振り返る気持ちの余裕が出来たこともあり
いろいろと 震災のことを考えるようになりました。

ものすごく怖くなるときもあるけれど 
自分たちしか経験しなかったことだから、記録しておこうって思えるようになりました。
今回の震災では
一人一人がいろんなドラマをもっていると思います。

こるくも 被害はそれなりだったけど でも、まだマシなほう。
家族はみんな無事だった。
そんなに怖い思いをせずに避難していられた。
おおげさに書き綴るような体験じゃないかもしれないけど
震災を機に 考えさせられた事、いろいろな現状を見たこと
ある意味、震災によってひきおこされた二次災害状態だったことなどを 
次回から書きたいと思います。

てか 前置き長いよね。次回から?

うん。

ちょっと 整理してまた 書き直そう!

まずは 近況報告まで・・・!





ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/11/28 03:47 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(2)

3月11日の記憶-その1。

地震がきたその時 私は遅い昼ご飯を食べる所でした。1階の私たち家族の部屋にいました。
カップラーメンのスープをすすろうとした途端、がたがたがたっという音と横揺れ。
手に持っていた「麺づくり」から スープが波打ってこぼれてくる。
あっつくて持ってられずあわててこたつにカップを置いた。

はじめは、地震にはかなり慣れっこになっているので「またか」位にかまえていた。
2日前にも 大きい地震があった。津波注意報も出ていたが まったく被害はなかったことが
余計にそう思わせた。

だんだん揺れが強くなり 「鹿男あをによし」の再放送がかかっていたテレビはぶっつんと切れた。
「麺づくり」のスープがものすごいいきおいでこぼれて テーブルからずれ落ちた。
すごっ、おもいっきりこぼれたよ! 掃除大変だよ・・・
もったいない、一口もまだ食べてない・・

カーテンレールと背の高い本棚の間に渡してある 物干し代わりの太い突っ張り棒が、
かけてある服があまりに揺れるので耐え切れず自分に向かって吹っ飛んできた。
固定しておいたはずなのにとびっくり。
そして揺れはどんどん強くなってくる。

思わず カジュアルこたつの中に頭を突っ込んで、しばらく揺れる。
全然止まらない!
本棚の軽いカゴの入れ物なんかが落ちてきて 怖くてすっぽりとこたつに入る。
これでもか!これでもか!って感じに横に縦に揺さぶられた。
こたつの足にしがみついている手を離さないと、とまってくれないのかな?って思った。

おさまりそうで、おさまらない。
強くて長くて、床に這いつくばっているのが精一杯だった。
じわじわと、恐くなった。

ようやくおさまってきたころ どうやって入ったのかわからないが
なかなかこたつから出られない!(長身の私)体をひねって ようやく脱出。
2階のそれぞれの部屋にいたおじいちゃん、おばあちゃんに声をかけると
二人ともびっくりして下に降りてきた。
三人で「大丈夫かー!?」って言い合った。
おじいちゃんの部屋の本棚が倒れてきた!と言っていたが怪我はなかった。

意外に、部屋の物は何も倒れたりせず(もちろん転倒防止は万全だった)落ちたのは
服をかけていた竿だけ。
遠目に見た台所も 軽い物はちょっと落ちていたり、吊り戸棚が開いて鍋が落ちていたり。
冷蔵庫は倒れず、扉が開いて、中の物がそこらじゅうに散乱していた。
茶の間も 写真立てが倒れたり 飾っていた賞状額が斜めになっていた位だった。

三人で家に居て 子供たち、ダンナはそれぞれに出かけていた。
あーねえちゃんは部活で高台にある高校に。
さーねえちゃんは午前中卒業式で学校、午後は遊びに出かけていた。
るーくんはふつうに学校。授業中だった。
お父さんは会社・・・職場は石巻港の目の前の事務所。

とにかく 気になったのはさーねえちゃん。
「友達のNちゃんと遊んでくる」ってしか聞いてなかったから。
「この辺にいるのね~?」と聞いた頃にはもう自転車で出かけていたのです。
携帯に何度も何度もかけるけどつながらない。どこに行ったのだろう・・・!
きっとむこうからもかけてきているかも・・・と思い 時々リダイヤルの手を休ませる。

あーねえちゃんは大丈夫だろうか?
またしても携帯はつながらない。まぁ、学校だしとりあえず大丈夫!って勝手に思う。
るーくんは・・・?迎えにいかなきゃ!
(小学校で緊急時の対応については 震度5強以上、津波警報が発令時は各自保護者が迎えに行くことになっていた。日頃体育館で引き渡し訓練を実施していた。)

でも、学校から緊急メールくるか?いや来ないか?
一昨日はメールきたぞ。お迎えいらないって。あ、でも携帯つながりにくいし・・・
緊急時の対応プリントはどこだ??
そうそう、冷蔵庫に貼ってある。
つーか、震度いくつだ?
だけど なかなか 進んでいるようで進めない。余震がすごい。

一人で携帯持って、うろうろ。

とにかく二人は学校、お父さんは大丈夫(勝手に思っていた)、さーねえちゃんはどこ??で、頭がいっぱい。

そうしているうちに 外ではサイレンが鳴り響いて
「大津波警報」を知らせている。「高台に避難してください」と言ってる。
あまり 切迫感がない声で 避難しなきゃ!!って思えなかった。
防災無線のせいにするつもりはないが・・・。

でも我が家は海から2.5Km~3Km圏。
私は、ここから「逃げる」「避難する」という考えは はっきり言ってなかった。

おばあちゃんもバラバラに落ちた綿棒を拾い集めていたり(←完全パニック状態)
ジッチは懐中電灯やカセットコンロを茶の間のテーブルに集めていた。

二人の口からも「避難」
それはなかった。



余震がすごいなか、チャイムが鳴った。
玄関に さーねえちゃんの近所の友達が立っていた。
「お母さんと連絡がとれないし、家のタンスとか倒れてきた。近くの家の人にきいたら
誰か知ってる大人と高台に避難したほうがいいよと言われて、どうしていいかわからなくて
さーちゃんのお母さんのところにきた」
というのです。
一人で家に居て 怖かっただろうに。彼女は携帯を片手に 上着も着ていなく 小刻みに震えていた。

私はとりあえず るーくんの小学校にも迎えに行くかもまとまりつかない頭。
でも 冷静なふりをしてたんだと今は思う。
彼女を家に置いて行くこともできないし、一緒に小学校に行こうと思い、
家に書置きを残すため、メモとペンを渡して
「さーちゃんのお母さんと一緒にいます」と書かせた。その横で私は小学校のプリントを確認していた。
(今思うと 余震がひどい中 靴のままとはいえ家に上がらせ、テーブルの下に隠れながら
それをさせたのは 危険だったと思った。家も崩れず、怪我もなかったからよかったけど。)

そして メモを持って 歩いて2、3分の彼女の家に行った。
とっさに 玄関にあったさーねえちゃんのジャンパーを着させた。

家についたら なんと 家の前に彼女のお母さんが 職場の制服のまま車の前にいた。
「どこ行ってたのー?タンスの下かと思った!」と言っていた。
ちょうど グットタイミングに親子は一緒になり、このまま友人宅へ向かうと言っていたので
ジャンパーもそのまま着てていいよと言って別れた。
ほっとして、るーくんの迎えに向かうことにした。





つづく。



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テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/01 04:17 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(0)

3月11日の記憶-その2。


つづき



近所の人が 外に出ていた。
「車がすごい渋滞してきてるよ~」と大通りを見てきたと言っていた。
私は一瞬迷った。歩きで迎えにいくか・・・車も慣れないしなぁ・・・
「慣れない」というのは、車本体のこと。
たまたまマイカーを数日まえから車検&修理に出していたので代車だったのだ。

でもいいや、行けるところまで行って 連れて帰ってこよう。

そう思い 家にまた戻って、車の鍵を手にした。
普段の車移動の癖(いや、なまけ癖?)が後でとても怖いことだったなんて思わず。

「るーくんの迎えに行ってくるからー!」とおじいちゃんとおばあちゃんに玄関から叫んだ。
「気を付けてよー!!貴重品、身に付けておいたほういいよ~!」
このおばあちゃんの言葉になにげなく反応した。
一度部屋に戻って、通帳や印鑑が入っているポーチをバックに入れた。
そして 押入れの天袋に置いていた「非常持ち出し袋」を使いやすい所に置こうと思い、
とりあえず玄関に置き、学校へと向かった。この時はるーくんと家に帰るつもりだった。
そして、さーねえちゃんが無事帰ってきますようにと願っていた。

小学校までは 大通りを直線で5~600m位東へ向かう。
やはり 車はすごい渋滞していた。
ただ 大通りにはわりとすんなりと入れた。が、いつもより のろのろと進む。
信号機がまっくろだった。停止している。あぁ停電なのか?だから混んでるのか?
みんなで一斉に学校に迎えば混むだろうな~、学校に車止められないかも・・・

そのくらいにしか まだ思っていなかった。
そのとき何時なのかも覚えていないし カーラジオも付けなかった。

ただ なんだか異様な 経験したことのない光景だった。

大通りから学校に向かうには 今度は交差点を南へ右折しなけれなならない。
ところが ここが 全く動かない。

大通りから右に見える学校の前の通りがものすごい数の車で動かない。
大通りに出ようとしている列がすごく並んでいた。先頭の宅配便のトラックが
交差点に無理矢理 頭半分出していた。でも 大通りの直進の車はそれをさけて真っ直ぐ進む。
だから 余計に混んでいる。だれか 一回 止まって入れてくれたらいいのに・・そう思った。
でも、西へ向かう直進車はとても混んでいて、だれも止まる気配を感じなかった。

ここは 右折で入れないな

そう思い、交差点左側にあるコンビニに車を止めた。
不思議なことに 車一台止まっていない。

ごめんなさーい、ちょっと 停めさせてくださいね
心でそんなことを言いながら 学校へ歩いて向かった。距離にして200m位かな。
やはり、学校からの車の列がものすごかった。
もうみんな 車に乗って大通りにむかっているが、まったくぴくりとも動いていなかった。

学校の前で 仲良しのお母さんと会った。車に子供たちを載せていた。
「こわかったねー大丈夫だった?」と話したら「大丈夫だよ、はやく迎えに行ってあげて~」と言ってくれた。

そう、考えてみれば けっこう時間経ってるかもしれない。
るーくんのおむかえ おそくなっちゃったな。

体育館へ急ぐ。
ガラスががたがた音をたてていた。まだ余震が続いてるんだ・・・と思った。
担任の先生が児童達を整列させた一番前で待機していた。

すぐ先生がきづいてくれて るーくんを呼んでくれた。
「校舎には戻らないで このまま ランドセルなどは置いていってください」
先生がそう言ったので すぐに上靴のまま荷物をもたずにお別れをした。

体育館には そのまま残っている父兄もいた。
顔見知りのお母さんに声をかけられた。
「怖いから 少し学校にいる」と言って、中学生のおにいちゃんも一緒にいた。
先生方が「そろそろ 校舎の2階にいきましょうか」と話をしはじめていた。

でも、このまま留まろうとは思わなかった。

るーくんと体育館を出て、上靴がバレーシューズだったので寒そうにみえたから
通りがかった昇降口の下駄箱から 外靴を持ってこさせた。
その時、「とーちゃん!!」
るーくんが言った。
え?と思ったら 見慣れない格好のヘルメットをかぶった男の人が 息を切らして居た。
よく見たらお父さんだった。会社の防寒着を着ていたので誰かわからなかった。


事務所から全員一斉に、本社に一旦車で避難して、そこから歩いてきたという。
(本社は事務所よりは北にある。小学校からわりと近い)
るーくんの迎えに行かなければと思ったらしく 学校にまっすぐきたそう。


偶然 ここで会えたのが本当に奇跡。

「さーねえちゃんがどこにいるかわからないの」とすぐに話した。
すると ここでまた奇跡がおこる。
お父さんの携帯がさーねえちゃんとつながった!
さーねえちゃんは Nちゃんのお母さんに車で乗せられて高台にある自分たちの中学校に避難しているという。

お父さんとるーくんと3人でコンビニに停めた車へむかった。
さーねえちゃんを迎えに行こう!となり、そのまままた大通りを東へ高台の中学校へ向かった。

渋滞はしていたが 意外にまたすんなりと列に入れて、のろのろながらも車は進んだ。
何回も言うかもしれないが、ここに至っても 
私は、とにかくこういう時は家族みんな一緒にいたほうがいい という思いだけで、
津波がくる!避難しなきゃ!とは全く思ってなかった。
繰り返し鳴っているサイレンの音にも、
もしかしたら 多少の水が来ても 家の中までは来まい。ま、来ても2階があるさ。
そんな感じだった。

中学校に着いて、避難してきている人たちがちらほらと体育館に入ってきていた。
さーねえちゃんがいた!
大丈夫??どこにいたの??話を聞くと
私が車を停めさせてもらった あのコンビニで買い物中に地震にあったとのこと。
店員さんに誘導されて 駐車場のガードレールのようなものにみんなでしがみついていたらしい。
気を付けて帰ってと言われ、さーねえちゃんもすぐに私に連絡したが
家も携帯もつながらなかったという。
そこで コンビニからすぐ近くのNちゃんの家に二人で向かおうとしたら
Nちゃんのお母さんが車で現れて、乗せて連れてきてくれたとのことだった。

「自転車は??どうしたの?」

そんなのんきなこと聞いていた。

「コンビニに置きっぱなしで来たよ」とさーねえちゃんは言った。



つづく。

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テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/02 06:14 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(2)

3月11日の記憶-その3。

とりあえず さーねえちゃんと無事に合流し、Nちゃんたちとお別れして今度は4人で車に乗った。
この時、お父さんが「あーねえちゃんも乗せて帰ろう」と言ったので
高台の奥にある あーねえちゃんの高校へ向かった。

ところが だんだんと道が混み、ぜんぜん動かない。
仕方なく 途中から私だけ歩いて先に高校へ向かうことにした。

雪が降っていた。

高台のすぐ下の河口や海岸近くの加工場の従業員の人たちが 避難して
白い制服で列をなして歩いていた。
だんだんと 異様な雰囲気に切迫感を感じた。

あーねえちゃん・・あーねえちゃん・・

高校に着くと 避難してきている人の対応で生徒や先生がスリッパやビニール袋を配っていた。
この日は授業はなく、部活動で登校している生徒しかいなかった。

入口の生徒に吹奏楽部の○○はどこですか?と聞いたら すぐにあーねえちゃんの所に案内してくれた。

あーねえちゃんは、薄暗くなった校舎の中で避難してきている方々の足元を 自分の携帯電話で照らしながら
「トイレはこちらです」と叫んでいた。

吹奏楽部の子達は、廊下に数人で適度に間隔を開けて立ち、避難者の誘導をしていた。
あーねえちゃんに近づこうとすると、

トイレはどこですか?スリッパありますか?和室はどこですか?体育館にはどうやっていくんですか?
いろいろなひとに生徒たちが質問攻めになっている。
迷子になった小さい子もいた。

やっとあーねえちゃんに近づいて話しかけた。
「大丈夫?迎えにきたんだけど・・・。どうしようか。」

「うん、大丈夫。今は忙しいよ。帰っていいのか・・・」

「これじゃ お母さん、あーちゃんを連れて帰れないね。みんなの役にたたなきゃ」
「うん。(私もそう思う、という感じで深くうなずいた)大丈夫。」
「じゃ、お母さんたちは一旦帰るからね。落ち着いたら気を付けて帰ってくるんだよ。
車はすごく渋滞していて もう出せないかもしれないから、歩きのほうが早いから」
「うん、うん わかった。んじゃね。」

そう言って別れました。
なんとなく 不思議そうな顔をしていましたが しっかりとした声、返事。
地震で怪我などしていないか心配だったのに、
一生懸命 みんなのために働いてる姿にほっとした。

私は高校からまた来た道を戻り 渋滞に巻き込まれている我が家の車を見つけ、車に乗り
事情をみんなに話した。

あーねえちゃんはまたあとから迎えにこよう。一旦家に帰ろう。
とりあえず 家に帰ろう。お父さんも私も、なんの疑いもなくそう決めた。

そしてUターンして坂を降り始めた。
降りる車線はそれほど込み合っていなく のろのろと進んでいたら
偶然 義理の弟と遭遇!(ダンナの弟、会社も同じく工業港湾)

ここらへんの会話はあまりはっきり覚えていないのだが
義弟「おお、無事だったかー。さっきおっとう(お父さん)にも会ったぞ、無事に避難してたぞ」
(ダンナのお父さんも港湾部にある工場で仕事していた)

「もう津波の水が来てるらしいよ、たぶん 車じゃ行けないかも。おれは行ける所まで行ってみる」
ダンナ「おお、わかった。気をつけろよ!」

そんな会話をしたと思う。

そして坂を降りていくと 運転していたダンナが言う・・・

「え??なんでだ??
 だめなの? これ以上行けないの?水がきてるの?!」

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歩行者の人たちが坂のふもとに居て、大通りを見ている。 
そこから上がって来る人たちが「水きてるよー!行けないよー!」と教えてくれたのだと思う。
(←もはやこの辺の記憶飛んでる・・・)

その後も まったく覚えていないのだが
とにかく なんとかさーねえちゃんの中学校に戻って、今度は車を校庭に停めた。
駐車場として開放した校庭は けっこう車が停っていた。

そして さーねえちゃんにるーくんを託し、体育館で待ってなさいと言って、
お父さんと二人で様子を見に 坂を歩いて降りてみた。

さっき通ってきた大通りをまっすぐ直線に見えるところに行った。
すると、道路に水があり 木やゴミが流れてきていて たくさんの車が列をなして
浮いているというか沈んでいるというか・・・
もう一歩で坂を登れるはずだった手前の車は
ハザードランプが点滅し、なぜかエアバックも出ていて、クラクションの音がけたたましく鳴り続けていた。
人は乗っていなかった。


何が起こっているのか全くわかっていないで 通りの様子を見ていたら、
「○○小学校の6地区の人ですよね??」と女性が近づいてきた。
(6地区とは学校の学区)

「そうですよ」と言うと、

「どうしよう、子供が学校にいるのに迎えに行けない・・・
学校にいるのかもわからない、居ないかもしれない、お父さんが行ったかも$%&@;*~」
もう何話してるかわからない。

お互いに知り合いではないのだが、多分、私のことを見たことがある
同じ小学校のお母さんのよう。

私は とにかく動転している彼女をぎゅ~っと抱きしめて
「大丈夫!絶対学校にいるから。先生方、2階に避難するって言ってたよ」と
そんなようなことを言った。
今思うと 自分が一番パニックになっていることがわかってなかったな。
自分が、まるでドラマの主人公にでもなったみたいに一丁前に人を励ましてた。

でも、彼女は ちょっと知ってる人に会って泣いたら
すっきりしたみたいで だいぶ落ち着いたみたいだった。

彼女の実家が高台にあるらしく 実家に帰るように話した。
私たちも中学校へ戻ることにした。

道路の横の家から人が出てきてた。おばさんがカイロをわけてくれた。
暖かかった。


家に帰れない。

そんなことしか 頭に浮かばず また坂を上へ歩いた。

あーねえちゃんが急に心配になって、今度はお父さんが高校まで歩いて行ってくれて
「下は水がきてて帰れないから。4人で中学校にいるから。」と伝えに行ってくれた。

家にはおじいちゃんおばあちゃんがいる・・・
心配だったけど その時は不思議と「大丈夫。きっと2階にいる」と思った。


つづく。

ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/03 22:14 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(4)


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