ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

ぼく、成長期なんだ~





最近、我が家のるーくんは 背がぐんぐん伸びてきています。
もともと そんなに大きい方ではないのだけれど。

声もみょーに低くなってきました・・。

すね毛もうっすら長い産毛の様に生えてきています!!

男子の成長期って、こんな感じなんだなぁ~と つくづく見ております。


そうそう。

今度、7月31日・8月1日にこちらで行われる「川開き祭り」という昔から地元に伝わる夏祭りがあるのですが

1日に 陸上イベントで 小学生の鼓笛隊パレードがあります。
今年から復活です。

それにるーくんの小学校も参加いたします。
るーくんも小太鼓の担当で 衣装も今年から、各方面の支援のおかげで
新しいものを着れることになりました。

鼓笛隊パレードの発表の場は 5月に行われる運動会と川開き祭りの2回。

その5月中旬に行なった運動会の時に着た衣装を そのまま 自己管理しておいて
川開きが終わったら クリーニングして 学校に返却します。


で、今日(昨日)

なんとなく その会話になり、衣装を着てみることになったのですが

着てみたら 上着は着丈がつんつるてんになっていて

昔のヤンキーの短ラン状態。

半ズボンは もともと短めだったとはいえ かなり短く、ウエストもギリギリ閉めて、お尻プリプリ・・・

変なホットパンツ状態でした。


着てみてよかった~!!と 二人で絶叫してしまいました。

明日(今日)、さっそく 学校のプールに行くついでに 先生に話してきて

大きめサイズのものを借りてこなければ。
手頃なサイズ、残っていればいいけど・・・。


2ヶ月ちょっとで こんなにも デカくなるとは・・・。
男の子の成長期
甘く見てたなぁ。。。


スポンサーサイト

ジャンル : 学校・教育
テーマ : 小学校

[ 2012/07/30 02:46 ] 子供の成長 | TB(0) | CM(8)

とにかくにげっぺ・・・逃げられず。

先日お話しましたが、だいぶ遅れての報告になります。

7月8日の日曜の朝、石巻市で行った 避難訓練がありました。
基本的には 住民の自由参加で一斉に行われました。

朝、7時10分を過ぎたころ。
また、あの嫌~な けたたましいサイレンが鳴り響き

『訓練。 7時12分 「巨大地震発生」
 
訓練。 津波の恐れあり。注意せよ』

という 防災放送が響きました。

そして同時に 石巻市からのメール着信。

(震災以降、石巻市では防災無線が破損したままの地域もあること、
聞き取りが不便な個所や時間もあることから
メール配信サービスをスタートさせました。
二重に市からの情報を得られるので 我が家では 家族で登録をしています)

(これ、大雨のときも 防災広報で流れなくても、まめに情報がメールできていたので
便利です!登録まだの方は市報のチェックや市役所に問い合わせてみてください!
他の市町村でもあるのでしょうかね・・・。)


※訓練内容
①初期行動の確認
②非常用持ち出し品の確認
③避難経路の確認
④避難所要時間の確認

みなさんの自主的な参加をお願いいたします。訓練です。
くれぐれも怪我、事故等のないようにお願いいたします。



このような 内容のメールでした。


この日は お姉ちゃんたち二人は 普通に学校へ部活へ行くので
朝の準備に追われていました。
はじめから お姉ちゃんたちは 訓練には参加できないねと話していたのですが
るーくんとは一緒に 小学校まで歩いてみるか~なんて話していたのですよね。

でも、るーくんが サイレン鳴っても起きない!
前の日ちょっと夜更かししてしまったるーくん。
余計に 目があきません。

①、初期行動の確認・・・・とは、自分の身を守る行動をとれたかということだと思います。
机の下に隠れるとか、大きな箪笥や落下物の近くに居ないようにする‥などなど。

この日は やはり、 実際に揺れているわけではないので 私はその行動をとることもなく
るーくんを起こすこと、お姉ちゃんたちの朝ごはんの用意にバタバタとしておりました。

そうこうしているうちに、もう一度 大きくサイレンが鳴ります。

『地震・津波避難訓練中です。

訓練。7時15分、宮城県沿岸に「大津波警報発表」。
訓練。ただちに避難せよ。
訓練。巨大津波の予想。
訓練。ただちに避難せよ。
訓練。津波到達予想時刻は7時45分。ただちに避難せよ。』


外でガンガンこれが何回も鳴っているのに メールも来る。

そして るーくんに「津波くるよー!!」と起こすけれども はっぱり起きない!!

とりあえず。

非常持ち出し袋、リュック三つをえっこらよっこら 出してみた。

これ、もし 私一人だけだったら 全部は持てないぞ・・・と一瞬思った。

何かと 7人分、となると 量が・・・。

一人ひとり 個人で必要なものをまとめておいたほうが いざというときは いいのか?!

ここ、考えどころです・・。


DSC_0206.jpg


でもって、
たたいても騒いでも るーくんは起きず

最悪、おいていってもよかったのですが、お父さんと二人で学校まで歩く気にもなれず、

そうこうしているうちに

『訓練終了』のお知らせが来てしまいました。

「避難訓練」とわかっているからこそ、頑張ってやってほしかったし、やりたかったのに

結局 我が家は 誰も避難所まで歩くというような 行動まではできませんでした・・・(汗)。

なんだったんだ・・・前日まで、家族で「どこに逃げる~?」っていう会話。





ん?


そうか。

そういうことなのかもね。



とりあえず、行動におこせたことは リュックの確認や
備蓄品の賞味期限チェック、気がついたものはとりあえず2階へ上げる。。。そんなことにとどまったけれど、

それも 「避難訓練」というきっかけがないと なかなか 行動はできないかも。

そして、なにより

「どこに逃げる~?」っていう会話って、重要だったことに気がつきました。

結果的に、我が家で決めたことは 大きな地震が発生して津波の恐れがある場合

「おじいさん、おばあさん、私。家に居るときの場合は 基本的には るーくんが通学する学校へ避難する。
基本的に 私が避難率先者となる。ただし、場合によっては家に残ることもあるかも。そのときによって
臨機応変に対応する」

「お姉ちゃんたちは学校に居る時間がほとんどなので 第一に学校。
それ以外の場所の場合は近くの安全な高台や建物へ、今回の震災で浸水しなかった場所に居る時は
そこを動かない。」

「るーくんは学校の近くに居た場合はすぐ学校へ。家が近い場合は家に。その後に家の人と一緒に行動。」

「お父さんは会社のマニュアルに従って。家に居る時は 避難率先者となる」

いずれにしても、『そのときによって臨機応変に対応する』
これは 頭のかたすみに記憶しておくこと。

万が一の場合、「家族で決めた場所に行かなきゃ!」という思いが強くなりすぎて
そこへ向かおうとするあまりに 危険なことに気が付けないと大変です。

危ない思いをしてまでも そこへ無理に移動するのではなく
それぞれが身の安全を優先して 臨機応変に動くのが 一番大切かもしれないですね。



命があれば 何日間も会えなくても 
必ず会うことができるから。




我が家では 結局 だれも 「にげっぺ!」は行動できなかったけれど

家族を信じて 自分の身を守る。

このことだけは

あらためて 再確認できました。



課題もけっこう あるなぁと感じました。
備蓄品や持ち出し袋の再確認は念入りに もう一度やってこうと思います。


模範的な避難訓練ではなかったけれど いいきっかけになった 避難訓練となりました。



ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2012/07/24 01:16 ] 被災地の今 | TB(0) | CM(2)

娘達の青春。



今日は お姉ちゃん達ふたりの
吹奏楽 地区大会。

県大会予選でした。




やりました!

ゴールド金賞、県大会出場決めました!!

今回は人数も少なく
自信もなかった様なのですが、
本当によかった。


さっそく、休む間もなく
明日も また 早くから練習。



夜帰宅後、
よく頑張ったねって いっぱい話しました。


…話ながら
二人、寝ちゃった。

お疲れ様!!


そして、おめでとう♪
[ 2012/07/21 23:58 ] 日記 | TB(0) | CM(4)

海の日に思いをめぐれば


今日(昨日)は 海の日だったのね。




私にとって 「海の日」という祝日は最近できた国民の休日に感じ、

でも、子供たちが小さなころは この日あたりを境目に さぁ、今年もガンガン海へいくぞ!という

そんな、夏気分を感じさせてくれる きっかけの日だった。

子供たちが小さかったころは

日焼けも恐れずに よく 海水浴へと連れてあるいた。

父親がスキューバライセンスを持っていることから

私は プールで25M泳ぐのが精一杯な泳力なのに 

海では シュノーケルをつけて 真黒になって 一日中 海に潜っているのが楽しめる子供時代を送った。


その楽しさを やはり子供に伝えたくて 近くのいわゆる「海水浴場」から、

穴場の海岸まで いろんなところに行った。

父親(おじいさん)も必ず一緒に来てくれた。




たとえ、子供たちが初めて 泳げた海岸が

今は 砂浜さえもなくなってしまっていても

私の心の中には

あの日のままのキラキラした 砂浜の 海岸が目に浮かぶのです。

砂のキラキラが、足や手に たくさんついて 洗っても なかなか取れなくって。

そのキラキラがついたまんま 帰りの車で熟睡している 子供たちの寝顔は

忘れられない。


今は まだ 海への恐怖感はぬぐえないけれど

いつか また

純粋に 海水浴やバーベキューをしたり

そんな 楽しい時間が過ごせる 海岸へ 行けたらいいと思う。

時間はたくさん かかるだろうけれど。

つくづく 海の近くに暮らし 共存してきたのだと 実感する。


生物は海から生まれ そして 還ってゆく


そんなロマンにおもいをはせた 大好きだった海。

海の幸も大好きだし その恩恵に感謝をささげてきた この海の日。




でも、今回ばかりは
ロマンチックなことばかりじゃないことも 痛感し

いまだに まともに 海を見れない自分がいます。


絶交するほど嫌いになったわけじゃないよ。

もうすこし

時間ちょうだいね。

いつかきっと また 会いに行くから、ね。



ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2012/07/17 01:18 ] 被災地の今 | TB(0) | CM(2)

説明会・・・

先日の 避難訓練の話もしたいのだけれど
長くなりそうだから 次に書きます!


明日、あーねえちゃんの希望している進路先の専門学校に行ってくる予定です。

先月 急性虫垂炎で急きょ欠席してしまったが

また新たに 自分でアポをとった彼女。

個別相談会に積極的に予約、参加するのは AO入試にも有利なわけです。

が、しかし 

彼女は今 めちゃめちゃ 忙しい。

この連休も8時40分~19時まで部活、部活、部活・・・

実際に家に帰ってくるのは夜の8時過ぎ。

21日に 吹奏楽コンクール 地区大会があります。

これにむけて 彼女は今必死に練習中。
3年間の活動のすべてを注ぎ込み
そして ゴールド金を取って 県大会へ進むべく 毎日毎日 部活であります。

今年は さーねえちゃんも 一年生だけど参加します。


てなわけで

家に帰ってくると 二人とも放心状態なわけで

それなのに この忙しい中 部活を抜けて 仙台の学校に行かなければなりません。

仙台にいくのはかまわないのですが

バスや電車の時間まで 自分で調べる余裕もなく(やる気もない!)

同伴を頼まれましたが 私、明日、何時に家を出ればいいのか わかりません。

こりゃ 一応 下準備しておいたほうがいいかな・・・。

というわけで

今から バスの時間調べまーす。


震災で 仙石線(仙台・石巻間の電車)が一部不通のままなのが とても不便です。
なので、臨時高速バスを利用しようかと思っています。



ジャンル : 学校・教育
テーマ : 中高生の親

[ 2012/07/15 15:51 ] 日記 | TB(0) | CM(2)

自然災害の猛威




自然災害の猛威。

イコール 『恐怖』 

とにかく 怖いというのが 私の今の気持ち。




自分が、昨年 その真っ只中に居た時には まったくそう思わなかった。


最近、自分が TVで被害にあわれた場所の映像を見ると

身震いが 体を走る。



記憶に新しいところでは

竜巻や突風で、家がやられてしまった地域。


大雨で川が氾濫し 土石流が家に流れ込んでしまっている地域。


昨日、今日の九州地方の被害は 亡くなられた方も多く

本当に 他人ごとではなく TVを見るたびに

あのときの

私たちも津波で めちゃくちゃになった街や家を 思い出してしまいます。


もしかして、私たちが3.11の混乱していたころ

TVを普通に見れていた方々は こんなふうに ニュースを見ていたのだろうなと思った。


胸が痛みますね。






そして


どんなにか 悲しいだろう。

苦しいだろう。

辛いだろう。

悔しいだろう。


本当に 何もできない自分がはがゆいです。

遠くから願うことしかできないけれど・・・。


これ以上 状況が悪くならないことを 心から願います。


[ 2012/07/13 14:25 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

非常事態。何を持ち出せばいいの?

防災のお話のつづき。


3.11の大津波襲来の瞬間、

私たち家族の場合は、私たち5人家族のほうは
幸運なことに車で高台に逃げきれていましたが、全く何も「非常時持ち出し袋」や
防災グッツなどを持っていませんでした。

その当時 私が非常持ち出し袋に用意していたものは
「ライト付き 手回し充電ができるラジオ・電池・ビスケット・衛生用品・湿布薬、ばんそうこうなどの軽い外傷を予測した塗り薬・使い捨てコンタクトレンズの予備・目薬・常備薬・・・」など。

当日の晩、中学校の校庭で車中泊をした私たち。
これらがあれば かなり 精神的にも落ち着けたし、後日も相当助かったと思うのだが
るーくんを迎えに行く前に わざわざ 押し入れの天袋にあったバックを
なぜ、玄関に置きっぱなしにしたかが
いまだに自分の中で悔やまれる部分です。家に戻るつもりだったのに
まさか もどれなくなるなんて・・・そして、その玄関が津波に水没するなんて
その時は想像もしていませんでしたから・・・。

ガソリンスタンドが開いていないだろうと簡単に予測できたため
とにかく 節約してエンジンをかけたり止めたりしていたので
唯一の情報源となる「カーラジオ」もあまり聞かなかった。
そして季節がら 寒くて寒くて仕方がなかった。


そして「情報がない不安」というのは 尋常じゃいられなかったように思います。
何がおこっているのかが 全くわからないのです。


そして、どこかで
「学校は避難所になっているのだから 何か備蓄してあるはず。そしてそれが貸してもらえる」
「情報も入ってくるはず」
と、誰もが思っていたに違いない。

今はちゃんと 各避難所でも それなりに備蓄もあると思われるが
(るーくんの小学校では 体育館ギャラリーと3階~屋上へ続く踊り場など
とにかく高い場所に防災品の備蓄がしてあるようです)

あの時、私たちは高台の中学校で数日間は 「毛布」が配られるわけでもなく
体育館でラジオやテレビが流れ始めるのは ずいぶんと時間がたってからの話だった。


だから まず私たちは一番欲しいと思ったものは

「防寒できるもの」と「ラジオ」「懐中電灯」だった。

外部との連絡が全くとれなくはなったものの、「携帯電話の充電器」もとても欲しかった。

最近では ラジオ・ライト・携帯充電の3役をこなすものもあるのでそれを購入。
それとは、別に懐中電灯、ろうそく、マッチなどもリュックにいれてあります。
DSC_0207.jpg


食の部分では 確かに重要なわけで 最低3日はなんとか乗り切れるような
お菓子・チョコレートでも 水でも 必要だと思う。

私たちは たまたま 翌日にコンビニで少し買い物ができた幸運があったし、あーねえちゃんの学校に置いていたチョコレートの袋に助けられた。

でも、あの時は 本当に気が張っていた、緊張状態だったと思います。
おなかがすいたと思わなかったけれど 子供と一緒にいれば 「食べさせなければ」という気持ちに駆られます。

今の食料品リュックの中↓
DSC_0241.jpg

これらのほかに 2リットルペットボトル入りの水の箱12本を物置の高い場所に、
水汲みタンクも高い場所へ。
台所の高い場所に「さとうのごはん」「缶詰類」「ペットボトルの水」、2階にカセットコンロ・ボンベ。
今回の津波で届かなかった場所に それぞれ おいてあります。

一度避難して 家に戻れてから 役立つから。
ただ、家が無事だったら の話ですが。


石巻の場合はたまたま 浄水場が高台にもあるため
2日後には 給水が始まったから 
それまで なんとか 辛抱できる量の水は必要だと思う。

給水が始まっても 「水を入れるもの」が無いと 果てしなく困る。

これは 必需品だと思う。

今は ポリタンクやペットボトルだけじゃなく 分厚いビニール製の持ち運び袋もあるから
リュックなどに入って便利だと思う。

↓これは、百円ショップでみつけたもの。今はこれを3つリュックに入れてあります。
DSC_0242.jpg



3,11・・・おじいさん、おばあさんは 自宅2階に取り残されましたが
家が流されることがなかったので 命は助かり、
2階の各自の部屋にあるもので なんとか 過ごせました。
水の代わりに階段の下に流れてきた 缶ビールで喉を潤していました。

翌日ともなると 家の中の水も少し引けたので 散乱した食べ物をあさることはできたものの
トイレ・洗面・風呂場・台所などが壊滅的に壊れ、ヘドロだらけ。

想像を絶する1階の破滅的状況。

「地震で水道がもし止まってもいいように」と、お風呂の水はいつも汲み置きしておいたが
今回ばかりは なんの意味もなかった。

多くの2階に取り残された人たちは 部屋かベランダで ビニール袋などで簡易トイレを即席に作って
利用していた。

だから 「大きなビニール袋(ゴミ袋)」と「新聞紙」、「ガムテープ」など 結構役立つと思う。



でも、津波だけではなく 家が地震で壊れたり 倒壊、火事 なんてことにでもなれば
家に居ることのほうが 危険になります。

3.11の場合には 家にいたから助かったうちの両親のような場合もあれば
家にいたから だめだった。という場合もあるので
本当に 何が正しくて 何が最善と 決めることはできません。


津波が襲わなくても 大きな地震で 停電などライフラインが止まったのみの場合は
避難所ではなく 自宅で過ごすことが多くなると思います。

その場合も考えて やはり 使い水の必要性は無視できないと思います。



それから 最低限の着替えもあれば 最高だと思いました。
冷たい水に浸かってしまうと しかも それが冬ならば 大変な寒さです。
3,11.私たちは見ず知らずの方のお宅に突撃訪問して 靴下や下着を借りました。

なので 今は 肌着類は 古いものや あまり普段着ないデザインのものなどを
寄せておいて 非常用にしています。
DSC_0240.jpg




もう一度 リュックの中身を点検してみようと思う。

明日 石巻市では

「とにかくにげっぺ」という避難訓練を行います。

DSC_0239.jpg

家族であらためて 避難場所を確認しあったり リュックの中身を点検する
いいきっかけに なりそうです。

サイレンは聞きたくないのだけれど

訓練で朝の7時から8時の間に 防災無線・サイレンがあるそうです。

真剣に 訓練したいと思います。




ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2012/07/07 15:38 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(3)

自分が被災者になるということ

「自分が被災者になるということ」

これに関しては いまだに信じられなくて 実感もなくて

そして 被災した街にいると 「ぎょ!」と目を疑うような光景もたくさん飛び込んできて。

それなのに

震災の記憶の大部分が だいぶ 色あせてきています。
まだ、1年と4カ月未満しかたっていないというのに。

いいことなのかもしれないけれど 

そんな自分が 薄情者に感じて嫌になります。

あんなに「絶対に忘れない」と思ってきたのに

日々の生活が 平和なものになってきたからなのでしょうか。

先日かかりつけの心療内科の先生も話していました。

「人間は本能的に嫌な思い出、辛いこと、ストレスと感じたことを忘れようとする」らしいです。

そして

「みな、災害時躁状態に陥る」のだそう。

ようは、気を張っている状態ということなのかな。






記録に残すことは 「忘れないため」。

だけど、そろそろ

私の体験したことは ひと段落となる。


前回は、われわれ家族が家のリフォームも終わり 無事に家に帰ったところまで書きました。

私たち家族のことは これで ひとまず落ち着くわけで 

記憶の記録も もう 終わりになるかな・・・と思っています。

もっと、細かく思い出すこともあるけれど

それはそれで また 少しづつ 書いておこうと思います。



結局のところ 自分は何を「書き残して」「忘れたくない」のか。

自分が 津波を見たこと?ライフラインが復旧するまでの苦労話?大変なことをわかってほしいから?


うーん。
どれも違う。


結局 私が ここに自分が経験したことをそのまま書いて
ここに来てくれて 読んでくれた方に感じてほしかったことは


「防災意識を持ってほしい」

ということ。

イコール 『命を守って欲しい』ということです。

未曾有の災害、1000年に一度とも言われる災害に遭遇した私たち。

けれども もう二度とないとか、自分が生きているうちは大丈夫とか そんなことはわからない。

岩手、宮城、福島 だけじゃなく

関東だって、東海だって 関西だって 北海道だって。

どこでも 日本は地震国なわけですから

もしも、万が一のことは 年に一度、3.11のときだけでもいいから

備えについて 考えて 行動してほしい。


大きな地震に慣れっこになってしまっていた「宮城の人たち」は 多くの犠牲者が出ました。

「まさかここまで 津波は来ないだろう」

「ちょっと片づけてから避難する・・・」

「まずは家や家族の安否が心配・・・」

「車のほうが楽だから・・・」


そういった 私も全く同じように思っていた人たちが たくさん犠牲になりました。

生かされた人間として 何ができるかと考えれば そりゃ 復興のために何かできることはしたいです。

でも それと同時に 日本中のみなさんに防災の意識を高めてほしい。

そんな風に 思う。

だから 

わたしは 自分の記憶を残すことにしたんです。


いたずらに煽るわけじゃないけれど 

「備えあれば 憂いなし」です。

でも、どんなに立派な防災グッツを常備していても 今回の大津波のようになってしまえば

持って逃げる余裕さえなくなります。

でも、それでも いいのかなって、思います。

体ひとつで逃げたって十分なんです。

とにかくは 逃げること。

みなさんが 無事でなければ 何の話にもなりません。

逃げた先で 「防災グッツ」があれば それりゃ、大いに助かりますし、便利な思いはします。

でも、それだけ。

2~3日 ちょっと食べなくても 平気でした。

ラジオや懐中電灯がなくて 不安な思いはしたけれど

他の手段がなんとか 見つかるはずです。

ただし誰かが助けてくれるのを当てにするのとは違います。

究極の状態に追い込まれると 人間は たくましいものです。

だから まずは 優先順位として

自らの体を守ることをしてください。

家族と もしバラバラにいたとしても 必ず信じあう約束をしておいてください。

「僕は学校に避難するから大丈夫。だからお母さんも、必ずどこか安全な場所へ避難してね」

これは、岩手県、釜石市が行っている防災教育の中で 「家族の話題」として話しておくこと

として子供たちに教えてあったことだそうです。

そして 「釜石の奇跡」と言われた 率先して避難した中学生たちも話題となりました。

近くの小学生の手をとり 高いところ、高いところへと 

「自らが率先避難者となること」という日ごろの防災訓練や教育が生かされて

子供たちの犠牲者が少なくすんだという。

これは この先の石巻市民は見習わなければいけないと思うし

他のどこに住んでいても そうだと思います。


私たち家族は 偶然や幸運が重なって 今 こうして生きていて

家にまで帰ることができました。

だからこそ 次はきっとこんな偶然も幸運も無いと思うし、
次こそは あの時つらかったことを繰り返さないように

ただ便利なだけと言い切ったけれど やはり 無くてはこまることもあるので

そういった「備え」の話もしたいと思います。




つづく


ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2012/07/01 00:33 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(2)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。