ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

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引越し。

震災時の記録の続きを書きたいと思います。

昨年の震災が起きて
それから 3日後から近所のおじさんの家に避難させてもらい、
それから1ヶ月半後に学校が始まっても おじさんの家は学区内、
むしろ学校が近くなったので さほど不便も感じずに生活ができていた。

が、しかし いつまでも厄介になってはいられない。

私たち家族が お父さんの実家に引っ越す日が 5月末に決まった。

子供たちに 「この先は蛇田に引っ越すよ」
「おじいちゃん、おばあちゃんは、秋田に行くから。これからずっと、蛇田で暮らすよ」
そう話すと 冷静な感じではいたが
それぞれ、三人が 私と二人だけになると
泣いて おじいちゃん達とそばに居られないの?
るーくんにいたっては 「転校しなくちゃいけないの?」と不安を露にしていた。

でも

その時は これが 最善だったから 納得してもらった。
と、いうか 言い聞かせるしかなかった。

そして 引越しの日。

両親と、おじさん、いとこくん、私たち家族で
一本締めをして 別れた。

2ヶ月強の間の共同生活。
きついこともあったけど 楽しかったこともあって。
みんなで わいわい がやがや。
ろうそくの明かりでおしゃべりしたり 水汲みに行ったり。
家の片付けも ほんとうに 助けてもらった。

なによりも 私たち7人も受け入れてくれた おじさん、いとこくんに感謝しかない。

なんだか 一番 辛い時期を乗り越えてきた チームみたいになっていた。
いとこくんは、一足先に仙台に引越していたのだが
わざわざ 帰って来てくれた。

それぞれの旅立ちなんだなぁ、そんなふうに思った。


引越し、といっても たいした荷物があるわけでもなく
大きなビニール袋に 物資で貰った衣服を入れて
車で数回運んで 終わった。

この日から

新しい生活が始まる。

子供たちの学校は 学区外になるので 送り迎えが必要になる。
それから また 一から
「ここの家」のやり方を学ばなければならない。

私は

なんとか 一生懸命やっってるつもりだったけれど 怒鳴られてばっかりで。

わたしにとっては 震災前には ほとんど車の運転もしていなかったので

子供達の送り迎えを毎日することさえ かなりの進歩だったのだけれど。

病気が時々 顔を出してきて

とうとう 呼吸ができなくなって 顔面がひきつって
 
2日ほど 寝込んでしまった。

でも、がんばって、無理してでも
台所に行けば 「もう治ったんだ」と思われてしまい

お客さんが苦手だとか、朝が苦手だとか
急に涙が出てくるとか、首が回らないとか、めまいがひどいとか

子供達の生活スタイルも 食生活から何からなにまで

そういうことも 全く 理解してもらえなくって

結局は 義父や義母に不快な思いをさせてしまうだけだった。

義父、母も、始めは 私たちを迎え入れなければと、一生懸命片付けもしてくださったし
子供達のために 部屋も空けていただいた。

だけど 今まで 別々に暮らしてきて

そう、すぐには 馴染めない。





そんな日々から 1ヶ月もしないうちに

両親が「家を直すことにした」と言う。

びっくりした。

もう、なにもかも おしまいだ

そんなふうに肩を落としていたジッチだったけれど



市の助成金から 家の修理、修繕でとりあえず50万円が 保証されるという
「応急処置制度」があったため、(50万で全ては直せませんがね。)
罹災証明をうけているのに 
それを使わずに 直さないのももったいないから 50万円分だけ
(例えばトイレだけ 直そうか)とか
そういった ことから始まり

だんだんと 考えが 前向きになってくれたのだった。

そして

ジッチの友人たちも心配してくれて

何ども 何ども 応援に駆けつけてくださった。

家の中を 高圧洗浄機で洗ってくださったり
床はがしを手伝ってくださったり。

プレハブハウスをクレーンで直してくれたのも この方々だった。

こうした 友人たちの好意や説得により
ジッチの気持ちも少しずつ 「家を直して住もう」という結論に至ったのかもしれない。

バッパをはじめ、私も 子供たちも大喜び!

離れ離れにならずにすむ。

秋田と石巻じゃ さすがに遠い。

同じ市内ならば いつでも 会えるもの。

そして、近所の方がまた とても親切にしてくださって
知り合いの工務店を紹介してくれたのだった。

うちで 別の業者に見積もりを頼んではみたものの、だいぶ高く付いていたのだが
見積を比べてもらうこともできて、なるべく低コストで
できることになった。

こういったことが重なり 両親は 自宅を直すこととなる。

私の実家は 無くならずにすむこととなった。






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ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2012/04/01 23:24 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(0)
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