ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

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3月11日の記憶-その1。

地震がきたその時 私は遅い昼ご飯を食べる所でした。1階の私たち家族の部屋にいました。
カップラーメンのスープをすすろうとした途端、がたがたがたっという音と横揺れ。
手に持っていた「麺づくり」から スープが波打ってこぼれてくる。
あっつくて持ってられずあわててこたつにカップを置いた。

はじめは、地震にはかなり慣れっこになっているので「またか」位にかまえていた。
2日前にも 大きい地震があった。津波注意報も出ていたが まったく被害はなかったことが
余計にそう思わせた。

だんだん揺れが強くなり 「鹿男あをによし」の再放送がかかっていたテレビはぶっつんと切れた。
「麺づくり」のスープがものすごいいきおいでこぼれて テーブルからずれ落ちた。
すごっ、おもいっきりこぼれたよ! 掃除大変だよ・・・
もったいない、一口もまだ食べてない・・

カーテンレールと背の高い本棚の間に渡してある 物干し代わりの太い突っ張り棒が、
かけてある服があまりに揺れるので耐え切れず自分に向かって吹っ飛んできた。
固定しておいたはずなのにとびっくり。
そして揺れはどんどん強くなってくる。

思わず カジュアルこたつの中に頭を突っ込んで、しばらく揺れる。
全然止まらない!
本棚の軽いカゴの入れ物なんかが落ちてきて 怖くてすっぽりとこたつに入る。
これでもか!これでもか!って感じに横に縦に揺さぶられた。
こたつの足にしがみついている手を離さないと、とまってくれないのかな?って思った。

おさまりそうで、おさまらない。
強くて長くて、床に這いつくばっているのが精一杯だった。
じわじわと、恐くなった。

ようやくおさまってきたころ どうやって入ったのかわからないが
なかなかこたつから出られない!(長身の私)体をひねって ようやく脱出。
2階のそれぞれの部屋にいたおじいちゃん、おばあちゃんに声をかけると
二人ともびっくりして下に降りてきた。
三人で「大丈夫かー!?」って言い合った。
おじいちゃんの部屋の本棚が倒れてきた!と言っていたが怪我はなかった。

意外に、部屋の物は何も倒れたりせず(もちろん転倒防止は万全だった)落ちたのは
服をかけていた竿だけ。
遠目に見た台所も 軽い物はちょっと落ちていたり、吊り戸棚が開いて鍋が落ちていたり。
冷蔵庫は倒れず、扉が開いて、中の物がそこらじゅうに散乱していた。
茶の間も 写真立てが倒れたり 飾っていた賞状額が斜めになっていた位だった。

三人で家に居て 子供たち、ダンナはそれぞれに出かけていた。
あーねえちゃんは部活で高台にある高校に。
さーねえちゃんは午前中卒業式で学校、午後は遊びに出かけていた。
るーくんはふつうに学校。授業中だった。
お父さんは会社・・・職場は石巻港の目の前の事務所。

とにかく 気になったのはさーねえちゃん。
「友達のNちゃんと遊んでくる」ってしか聞いてなかったから。
「この辺にいるのね~?」と聞いた頃にはもう自転車で出かけていたのです。
携帯に何度も何度もかけるけどつながらない。どこに行ったのだろう・・・!
きっとむこうからもかけてきているかも・・・と思い 時々リダイヤルの手を休ませる。

あーねえちゃんは大丈夫だろうか?
またしても携帯はつながらない。まぁ、学校だしとりあえず大丈夫!って勝手に思う。
るーくんは・・・?迎えにいかなきゃ!
(小学校で緊急時の対応については 震度5強以上、津波警報が発令時は各自保護者が迎えに行くことになっていた。日頃体育館で引き渡し訓練を実施していた。)

でも、学校から緊急メールくるか?いや来ないか?
一昨日はメールきたぞ。お迎えいらないって。あ、でも携帯つながりにくいし・・・
緊急時の対応プリントはどこだ??
そうそう、冷蔵庫に貼ってある。
つーか、震度いくつだ?
だけど なかなか 進んでいるようで進めない。余震がすごい。

一人で携帯持って、うろうろ。

とにかく二人は学校、お父さんは大丈夫(勝手に思っていた)、さーねえちゃんはどこ??で、頭がいっぱい。

そうしているうちに 外ではサイレンが鳴り響いて
「大津波警報」を知らせている。「高台に避難してください」と言ってる。
あまり 切迫感がない声で 避難しなきゃ!!って思えなかった。
防災無線のせいにするつもりはないが・・・。

でも我が家は海から2.5Km~3Km圏。
私は、ここから「逃げる」「避難する」という考えは はっきり言ってなかった。

おばあちゃんもバラバラに落ちた綿棒を拾い集めていたり(←完全パニック状態)
ジッチは懐中電灯やカセットコンロを茶の間のテーブルに集めていた。

二人の口からも「避難」
それはなかった。



余震がすごいなか、チャイムが鳴った。
玄関に さーねえちゃんの近所の友達が立っていた。
「お母さんと連絡がとれないし、家のタンスとか倒れてきた。近くの家の人にきいたら
誰か知ってる大人と高台に避難したほうがいいよと言われて、どうしていいかわからなくて
さーちゃんのお母さんのところにきた」
というのです。
一人で家に居て 怖かっただろうに。彼女は携帯を片手に 上着も着ていなく 小刻みに震えていた。

私はとりあえず るーくんの小学校にも迎えに行くかもまとまりつかない頭。
でも 冷静なふりをしてたんだと今は思う。
彼女を家に置いて行くこともできないし、一緒に小学校に行こうと思い、
家に書置きを残すため、メモとペンを渡して
「さーちゃんのお母さんと一緒にいます」と書かせた。その横で私は小学校のプリントを確認していた。
(今思うと 余震がひどい中 靴のままとはいえ家に上がらせ、テーブルの下に隠れながら
それをさせたのは 危険だったと思った。家も崩れず、怪我もなかったからよかったけど。)

そして メモを持って 歩いて2、3分の彼女の家に行った。
とっさに 玄関にあったさーねえちゃんのジャンパーを着させた。

家についたら なんと 家の前に彼女のお母さんが 職場の制服のまま車の前にいた。
「どこ行ってたのー?タンスの下かと思った!」と言っていた。
ちょうど グットタイミングに親子は一緒になり、このまま友人宅へ向かうと言っていたので
ジャンパーもそのまま着てていいよと言って別れた。
ほっとして、るーくんの迎えに向かうことにした。





つづく。



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ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/01 04:17 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(0)
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