ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

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3月11日の記憶-その3。

とりあえず さーねえちゃんと無事に合流し、Nちゃんたちとお別れして今度は4人で車に乗った。
この時、お父さんが「あーねえちゃんも乗せて帰ろう」と言ったので
高台の奥にある あーねえちゃんの高校へ向かった。

ところが だんだんと道が混み、ぜんぜん動かない。
仕方なく 途中から私だけ歩いて先に高校へ向かうことにした。

雪が降っていた。

高台のすぐ下の河口や海岸近くの加工場の従業員の人たちが 避難して
白い制服で列をなして歩いていた。
だんだんと 異様な雰囲気に切迫感を感じた。

あーねえちゃん・・あーねえちゃん・・

高校に着くと 避難してきている人の対応で生徒や先生がスリッパやビニール袋を配っていた。
この日は授業はなく、部活動で登校している生徒しかいなかった。

入口の生徒に吹奏楽部の○○はどこですか?と聞いたら すぐにあーねえちゃんの所に案内してくれた。

あーねえちゃんは、薄暗くなった校舎の中で避難してきている方々の足元を 自分の携帯電話で照らしながら
「トイレはこちらです」と叫んでいた。

吹奏楽部の子達は、廊下に数人で適度に間隔を開けて立ち、避難者の誘導をしていた。
あーねえちゃんに近づこうとすると、

トイレはどこですか?スリッパありますか?和室はどこですか?体育館にはどうやっていくんですか?
いろいろなひとに生徒たちが質問攻めになっている。
迷子になった小さい子もいた。

やっとあーねえちゃんに近づいて話しかけた。
「大丈夫?迎えにきたんだけど・・・。どうしようか。」

「うん、大丈夫。今は忙しいよ。帰っていいのか・・・」

「これじゃ お母さん、あーちゃんを連れて帰れないね。みんなの役にたたなきゃ」
「うん。(私もそう思う、という感じで深くうなずいた)大丈夫。」
「じゃ、お母さんたちは一旦帰るからね。落ち着いたら気を付けて帰ってくるんだよ。
車はすごく渋滞していて もう出せないかもしれないから、歩きのほうが早いから」
「うん、うん わかった。んじゃね。」

そう言って別れました。
なんとなく 不思議そうな顔をしていましたが しっかりとした声、返事。
地震で怪我などしていないか心配だったのに、
一生懸命 みんなのために働いてる姿にほっとした。

私は高校からまた来た道を戻り 渋滞に巻き込まれている我が家の車を見つけ、車に乗り
事情をみんなに話した。

あーねえちゃんはまたあとから迎えにこよう。一旦家に帰ろう。
とりあえず 家に帰ろう。お父さんも私も、なんの疑いもなくそう決めた。

そしてUターンして坂を降り始めた。
降りる車線はそれほど込み合っていなく のろのろと進んでいたら
偶然 義理の弟と遭遇!(ダンナの弟、会社も同じく工業港湾)

ここらへんの会話はあまりはっきり覚えていないのだが
義弟「おお、無事だったかー。さっきおっとう(お父さん)にも会ったぞ、無事に避難してたぞ」
(ダンナのお父さんも港湾部にある工場で仕事していた)

「もう津波の水が来てるらしいよ、たぶん 車じゃ行けないかも。おれは行ける所まで行ってみる」
ダンナ「おお、わかった。気をつけろよ!」

そんな会話をしたと思う。

そして坂を降りていくと 運転していたダンナが言う・・・

「え??なんでだ??
 だめなの? これ以上行けないの?水がきてるの?!」

?????????????????????????

歩行者の人たちが坂のふもとに居て、大通りを見ている。 
そこから上がって来る人たちが「水きてるよー!行けないよー!」と教えてくれたのだと思う。
(←もはやこの辺の記憶飛んでる・・・)

その後も まったく覚えていないのだが
とにかく なんとかさーねえちゃんの中学校に戻って、今度は車を校庭に停めた。
駐車場として開放した校庭は けっこう車が停っていた。

そして さーねえちゃんにるーくんを託し、体育館で待ってなさいと言って、
お父さんと二人で様子を見に 坂を歩いて降りてみた。

さっき通ってきた大通りをまっすぐ直線に見えるところに行った。
すると、道路に水があり 木やゴミが流れてきていて たくさんの車が列をなして
浮いているというか沈んでいるというか・・・
もう一歩で坂を登れるはずだった手前の車は
ハザードランプが点滅し、なぜかエアバックも出ていて、クラクションの音がけたたましく鳴り続けていた。
人は乗っていなかった。


何が起こっているのか全くわかっていないで 通りの様子を見ていたら、
「○○小学校の6地区の人ですよね??」と女性が近づいてきた。
(6地区とは学校の学区)

「そうですよ」と言うと、

「どうしよう、子供が学校にいるのに迎えに行けない・・・
学校にいるのかもわからない、居ないかもしれない、お父さんが行ったかも$%&@;*~」
もう何話してるかわからない。

お互いに知り合いではないのだが、多分、私のことを見たことがある
同じ小学校のお母さんのよう。

私は とにかく動転している彼女をぎゅ~っと抱きしめて
「大丈夫!絶対学校にいるから。先生方、2階に避難するって言ってたよ」と
そんなようなことを言った。
今思うと 自分が一番パニックになっていることがわかってなかったな。
自分が、まるでドラマの主人公にでもなったみたいに一丁前に人を励ましてた。

でも、彼女は ちょっと知ってる人に会って泣いたら
すっきりしたみたいで だいぶ落ち着いたみたいだった。

彼女の実家が高台にあるらしく 実家に帰るように話した。
私たちも中学校へ戻ることにした。

道路の横の家から人が出てきてた。おばさんがカイロをわけてくれた。
暖かかった。


家に帰れない。

そんなことしか 頭に浮かばず また坂を上へ歩いた。

あーねえちゃんが急に心配になって、今度はお父さんが高校まで歩いて行ってくれて
「下は水がきてて帰れないから。4人で中学校にいるから。」と伝えに行ってくれた。

家にはおじいちゃんおばあちゃんがいる・・・
心配だったけど その時は不思議と「大丈夫。きっと2階にいる」と思った。


つづく。
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ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/03 22:14 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(4)
いやいや、こるくさん、まどろっこしくもないし、
徒に不安を煽っているとも思わないし、
文章下手でも全然ないですよ。
ただ、もう、本当にその場のことだったのだなって。
1,2で読んでて怖かったのは、その切迫感のなさ。
あまりに納得できる感覚で、だから余計に身近にリアル。

今回の記事は、「こと、ここに至れり」ですね。
漸く、ことの深刻さが目に見えてきました。
にしても、本当に偶然が重なって、家族に割とすんなり会えてるし
何というか、こう言ういい方はいけないけど
「運」と言うものは確かにあの時存在したんですね…。

こるくさんは、自分もパニクってたくせに人のことを
励ますなんて、
なんて書き方をしてるけど、
伝えた情報に嘘はないし、的確だったと思いますよ。
時には少々のハッタリが人の心を支えることだって
あると思うもの。

長い書き込みになっちゃいました。すみません~~v-356
[ 2011/12/04 08:46 ] [ 編集 ]
史さんへ
よかった。怖くてもう読めないってことじゃなくて(#^.^#)。
なんだかね、まだ自分が被災したんだってことが未だにピンときていない?変な感覚なんですよね・・。
地元の人たちとこのような会話は尽きないのですが、私の体験談なんてアリンコのようなもの。
史さんが言うように、ここで「運」というか「奇跡」というか・・・そのような事に恵まれたお陰で
バラバラだった家族がすぐ安否確認出来たことが救いでした。
もしそうじゃなかったら、きっと無理に動き回り 津波の2波、3波に巻き込まれていたかもしれません。

実は、震災の一週間位前に「救命病棟24時」の第3シリーズだったかな?
震災をテーマにしたシリーズのドラマ。
あれを見たばかりだったのですよ((((;゚Д゚))))

だから?偶然会った方に泣いてすがられた時に、あまりびっくりしなかったのかも。
「こういう場合(大震災の時)は、どうしたらいいのか」
タメになるかもと思って見ていた
あのドラマを無意識に思い出していました。
このときは・・ね。

[ 2011/12/05 02:58 ] [ 編集 ]
3月11日のこと、リアルにわかります
ニュースなどで知った情報より、こるくさんの記事の方が、リアルでとてもわかりやすいです。実際に震災に合った時の人々の心理って意外と切迫していないものです。私も阪神大震災の時、「わ~揺れてる~」としか実感ありませんでした。状況がだんだんわかってきて、恐怖感がじわじわと湧き出てくるんだと思います。それにしても、1話ではるーくんやお父さんは大丈夫!?と心配でしたが、こるく家のみんなはラッキーでしたね。ほんとによかったです。
実は、こるくさんのことが心配で、毎日新聞でこるくさんの名前を探していました。ほんとに、ほんとに、無事で良かったです。
[ 2011/12/06 09:01 ] [ 編集 ]
京女。さんへ
ご無沙汰しています。遊びにきてくれてありがとう!
京女。さんは 阪神大震災の経験者ですものね。
そして きっと報道も凄かっただろうし、変に煽られて余計に心配されたかと思います。

全国で京女。さんのように 安否確認のために新聞やネットで情報収集した方が沢山いるようですね。

私は地震発生後数日間、日本全国同じような状況なのかと思ったり、きっと大丈夫な場所があっても 石巻に来ることは絶対にできないと思っていました。

ご心配おかけしましたが 本当にタイミングの良さで 私たちは無事でいることができました。
ありがとうございました。

[ 2011/12/07 03:03 ] [ 編集 ]
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