ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

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3月11日の記憶-その4。

とにかく 「道路に海水が来ていて家に帰れない・・・。」

そのことしか頭になく 特別に騒ぐわけでもなく、動揺するわけでもなく
また 高台の中学校に戻った。

さーねえちゃんとるーくんを探す頃は だんだんと体育館の中に人が集まってきていた。
二人を見つけると、るーくんがすごく不安そうだった。さーねえちゃんもまた別の友達の家族と一緒に居た。
子供たちなりに何か大変なことになっていると察していたと思う。

「大通りに、津波の水が来ているから、下に降りれない!!
家には帰れないから、とりあえず今日はここに居て様子をみよう」

そんなことを言ったと思う。

「ジッチとおばあちゃんは??」と二人は言った。
「大丈夫。家にいたから。きっと2階にいるから大丈夫だよ」
なんの根拠もないけどそう言った。
大通りに 浸水はしていても 建物などが目立って倒壊している様子はなかったので きっとそう思ったのかもしれない。

ちょうどその頃、この高台の山の下で 大津波がなんども押し寄せて 火事が起きていることも
全く想像もできず 
さーねえちゃんがお世話になったお母さんと体育館の話をしていた。

さーねえちゃんの学校の体育館は、新しく出来たばかりだった。
入学式を終えてまもなく、老朽化した体育館は取り壊され、立派な2階建ての体育館に生まれ変わった。
2年生の3学期から授業で使用できるようになり、2月に一般完成披露会をしたばかりだった。
私はそれに出席しなかったので 初めて見る新築の香り漂う体育館にきょろきょろした。
なんとなく生徒達と保護者以外の方々が次々と入ってくるのが 変な感じがした。
(ある意味、このタイミングで完成していてよかった。工事中だったらと考えるとゾッとする)


体育館のトイレはすごい行列ができていた。特に女子トイレ。
私も、今のうちに行っておこうかな・・すいたらでいいか。そんなこと思ってたら
あっというまに「体育館のトイレは使用できませーん!!」という先生の声がした。

詰まったのか。水が出ないのに 大勢で使えば仕方がない。

考えてみれば、私はいつ断水になった事に気づいたのだろう。
このトイレの一件の時だったのかな・・・??

その後は外の簡易トイレを開放していたが、 そこも汲み取り式のトイレ。
使えなくなるのに さほど時間はかからなかった。

そして今度は校舎の1階のトイレを開放した。
私は暗くなってから校舎のトイレに行った。トイレのドア前に懐中電灯を持った女性が椅子に座っていて
「外ドアは開けっ放しで」とちょっと厳しい口調で言った。
なんだろう??と思ったら、彼女は足元を懐中電灯で照らしてくれた。

個室は真っ暗だけど、ドアを閉めないわけにはいかない。でも床を照らしてくれていたので
ドアの下の隙間から十分明かりが入った。照らしながら彼女は淡々と少し大きめの声で

「ペーパーは便器に落とさず、壁にガムテープで固定したゴミ袋へ。」
「水が出ないのでレバーは押さない」
そう廊下から言っていた。

用を済ませて 廊下に出たら すれ違いに他の人が入った。
彼女は、私にしたことと全く同じことを繰り返していた。
誰かがトイレに来るたびに一晩中これをしていたのかな。私はこの時灯りがあってよかったとつくづく思った。
ありがとうございますとお礼を言った。こくんと会釈で返してくれた。
先生ではなかったと思う。市の職員なのかな? 

でも、さすがにそのまま流さない・・・は衛生上良くない。次の日明るくなってからには
先生方なのか、プールの水を調達してくれて
バケツ2~3つ分、置いてあった。さすがに大便で汚れている個室が多くなっていた時は、そのバケツで流した。
なんとなく、気づいた人が流す的な感じになっていたが 

三日目には、プールの水を大きなポリバケツ(ゴミ箱みたいなもの)に汲み貯めて、
自分でバケツに汲んで、流すルールになっていた。
水の確保ができたと思った。


話が前後するが

夕方暗くなってからも体育館にくる人が絶えずにいた。
始めは、横のスペースにブルーシートをひいて、そこに外靴を置いていたが
あっというまにブルーシートは隅に追いやられ、邪魔になると思い、あわてて靴をとりに行った。

だれも取り乱すわけでもなく ただ そこに みんなで座っていた。
体育館の窓ガラスが がたがた鳴っている。風?いや地震だ。
不気味な音だった。


18時から19時の間だったと思う。配給があった。
今思うと どうやって確保したのだろうか。
順番に優先順位で並ぶように呼ばれた。
「お年寄り、小さなお子様のいる方」
「子供さんがいる方」
「自分で食べるものを持っていない方」・・・

魚肉ソーセージ一本、おせんべい2枚入ひとつ、一口チョコ2つだったと思う。
ひと家族につき このワンセットだった。

あとは、袋に入ったチョコレートが「取って回してください」と回ってきた。
そこで人数分取り、横に居た車椅子のおじいさんとそばにいたおばあさん、
後ろにいた5才と3才くらいの男の子にも渡してあげたら 袋はカラになった。

私たちはチョコレートをまず食べた。
魚肉ソーセージは4人で分けた。
おせんべいとチョコ一つは あーねえちゃんの分としてバックに入れた。

食べ終わっても 体は暖かくならなかった。寒くてもじーっと体育座りで眠るしかない。
ますます 窮屈になってきていた。 それでも 異様なまでに静かだった。

「○○保育所の先生方いますかー?」と呼び出している声がした。
沿岸部にある、うちの3人の子供達もお世話になった保育所の名前だった。
って、ことは保育所の子供たちもここにいるのか?と思うくらい 子供の声に気づかなかった。
慣れない状況、お母さんと離れて、怖かっただろうに、でも 必死にいい子にしていたんだろう。


時々そういった呼び出しや、人探しの呼び掛けはあったものの、何か情報提供があるわけでもなく、
でもみんな何かを期待はしていて・・・でもただ時間だけが過ぎていった。
なんの話も進展もないのか・・・そういった空気になって
私も子供達も だんだんと増える人の中にいるのもしんどくなり、車に行くことにした。
結果的には「本当にいく場のない人」のためにスペースをあけることにつながった。

車に行ってから びっくりした。

たまたま、南側に向けて停めた車。
空が真っ赤だった。正確に言うと、濃い霧のような煙の隙間からみえる空の色が赤・・オレンジだった。
南浜町、門脇町が燃えている。


カーラジオから「門脇小学校全焼」「仙台若林区沿岸部にて200~300体の遺体発見」、「仙石線車両(仙台、石巻間を通る電車)が行方不明」、「女川町連絡とれない」

時々、パーンと空に響く爆発音。
ひっきりなしに揺れる車。

なんのことだか さっぱり理解できなかった。

真上を見ると 満天の星空だった。
星が手に届きそうなほど低く、本当にきれいだった。

それは 世の中の灯りがなくなったから見えた星空だった。



つづく

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ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/08 01:04 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(1)
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[ 2011/12/08 09:08 ] [ 編集 ]
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