ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

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3月11日の記憶-その5。

だいぶ 話が前後するが、

お父さんが あーねえちゃんに 私たちは中学校にいると伝えに行ってくれた時
会社の人と偶然会い、高台から南方面を見に行ってみると
火の付いた家がすぐ近くまで 流れて来ていたそうです。
あまりに現実離れしている光景を見た彼は 平然と私に教えてくれました。
それを聞いた私も「えー、やばいじゃん」ってな感じでした。

カーラジオから聞こえるニュースも 全く、現実のものとは思えなかった。
聞き覚えのある土地の名前ばかり出てくるのが なんだか 違和感があったけど。
そして福島の原発が津波にやられたことも耳に入ってきて
私たちはすぐに「女川原発も、もしかしたら」と思った。
隣町の海岸沿いにある原子力発電所。
もしも そうならば 電気はいつくるのだろう・・・そう思った。
「放射能」への危機感が全くなかったのが今思うと恥ずかしい。
東京では帰宅難民がでている?
あぁ、きっと千葉に住まいのある兄は、帰れていないのかもと思った。
(実際そうだった)
なんだか とにかく 世の中大変なことになっている。

私は車から「家」に連絡を試みた。
おばあちゃんやジッチの携帯、家の電話は全くつながらない。
義母、義父の携帯、ダンナの実家も同じである。
ダンナの実家は同じく石巻でも 海は離れているが、川や運河が近い。

携帯の電池がもう残り少ない。
やけくそにおばあちゃんにメールを送った。
「中学校にいます。全員無事。」と。
自分たちの安否を伝える事だけに文章を絞った。
無情にも「送信できませんでした」のエラーメッセージが出る。
もう一回だけ送ったけど、またエラーだった。

家の2階に無事で居てくれることを信じて、電池の消耗を防ぐために電源を切った。


お父さんが「やばいよなー」と言った。
運転席のメーター回りに目配せした。
ガソリンのメモリが一番下のラインから ひとメモリだけ上のラインを指している。
「なんでこんなときに代車なんだ!!」「なんのために7人乗りの車買ったんだ!」
「なんのためにナビもTVも付いてるのに・・・」
自分の車だったら もっとガソリンも入れておくし
車中泊をするにしてももっと広くいられた。情報だって、TVが見れた。
そして きっと 車はどこかで津波にさらわれたに違いないと思っていた。

悔しいけど、今はなぜか 4人乗りのコンパクトカー。スズキswiftだった。
でも自分たちだけの居場所があるだけ 贅沢でありがたいことだったと後に知る。

ガソリンを消費しないように エンジンを切った。
寒かった。
私はGパンだったけど
さーねえちゃんはこんな日に限ってキュロットに生足にニーハイソックスだった。
お父さんが防寒着を脱いでかけてくれた。
みんなで座って眠るようにしたが 私は一睡もできなかった。
そう、この前の日まで何年間も睡眠剤を飲んでいたのだから。薬が無くて眠れるはずもなく・・・
寒さが限界になってくるころ またエンジンをかける。その繰り返しだった。

夜中12時を過ぎたころだったと思う。
防災無線がまた けたたましく響いた。

「門脇町、南浜町の火災が広がってきています。 ○○丘2丁目~4丁目までの方は大至急
 高台の○○中学校か○○中学校に避難してください!」
何度も何度も サイレンとともに放送される。

指定された○○中学校は2校とも並んで立っている。まさに私たちが居るところだった。
だから 怖かったけど ここに居て大丈夫なんだと思った。

「え~!!やばいなぁ・・・って、まてよ。あーねえちゃんの高校の住所って○○丘じゃねっけが?!何丁目や??」
「そうだよね、えーっと何丁目だったかな?あー姉ちゃんたちもこっちにくるかな?大丈夫かな?」
お父さんと 二人急に不安になった。
私は 娘を学校に置いてきたことをものすごく後悔する。
もしくは 自分たちも高校に居れば一緒にいれたのに・・・

ここで心配していても仕方ないからと、お父さんが「見てくる!」と
外へ出た。

待ってる間、とても長く感じたのを覚えている。
しばらくしてお父さんが寒さに震えながら戻ってくると
「すれちがったかも、もう全員避難したんだって。やっぱり 火の手は高校の近くまで来てるみたいだ」

今度は 私が 中学校の体育館を見に行ってみた。
暗くなった真夜中の体育館。夕方頃とはまた状況が一変していた。

一階の武道場は階段を使えないお年寄りの方々がすし詰め状態だった。
こんなとき最新のエレベーターを設置してあることにショックを感じる。
窓ガラスが人の熱気で曇っていた。
階段、踊り場、全てのスペースに人が横たわるか座っていた。
やっと体育館に入ると ものすごい人、歩ける余裕がほとんど無い。

別の出入口の方から「○○~!!いるかー!?」「○○小学校の○○をみませんでしたかー?!」
と叫んでいるお父さんの声がした。
きっとずっと子供を探しているのだろう。
代わる代わる、呼びかける声が響いていた。
そのたびに赤ちゃんが泣いていた。

私もあーねえちゃんらしき姿を一生懸命探す。が、暗くてよく見えなかった。
私も声をあげたかったが、大勢の人に圧倒されて 声が出なかった。

そこに、あーねえちゃんの高校のジャージを着た女の子を数人発見する。
「同じ高校の子だ!」と思って 駆け寄り「吹奏楽部の○○はここの中学に来たかわかりますか?!」と聞いた。
すると「すみません、私 このジャージ貸してもらったのを着ていて、高校生じゃないんです。
高校生はどこにいったかまではわからないんです。ただここに連れてきてもらったので・・・」

よくみると中学生位の女の子たちだった。
ここがどこだかも分かってない様子だった。ここらへんの子じゃないのかなと思った。
きっと津波で濡れた衣服を脱いで、高校に置きっぱなしにしてある誰かのジャージを
先生方が提供したのだろう。

「そっか、ありがとう。ごめんね。」
そうしか言えなかった。


隣の中学の体育館も探したが こちらもいる様子がない。
こちらはみな土足で上がっていて 椅子に座っている人が多かった。
車に戻って お父さんに話す。

どっちかの中学に来ていることは確かだし、あーねえちゃんが家族がこっちの中学にいることはわかっているから
と、明るくなってきたらもう一度探すことにした。

明るくなってから 今度はお父さんが校舎内をまわってくれた。
全部の教室を「○○高校の○○いますか?」と言ってまわったそう。
一度お父さんだけ戻ってきて「あーねえちゃん居た!!」部活の先輩たちと一つの教室に固まって
カーテンを外して膝に掛けて寒さをしのいだらしい。

お父さんと、もうあーねえちゃんと別々に居ないほうがいい。と決断。
高校にいれないのなら 離れている意味も無い。
今度は私とるーくんで迎えに行った。
教室にいくと真っ白な顔してたけど 元気にしていた。
先輩に挨拶をして 部活のみんなと別れた。
やっと、安心した。
ついでに校舎の職員室前を覗いた。
いつもあるはずの場所に公衆電話がない。
公衆電話も使えなくなっていたのだ。伝言ダイヤルもダメじゃんか。。。
異様な孤独感を感じる。


その時 廊下で さーねえちゃん、るーくんの同級生ママと会った。
保育所からの付き合いで仲良しのママさん。まだ保育所に通うオチビちゃんもいる。
海の真ん前にある公営住宅に住んでいたから 恐る恐る聞いてみた。
「昨日から・・・ ここにいたの?」
そうしたら 泣いて彼女が抱きついてきた。
「職場から、保育所と小学校に迎えに行って、パパも合流して家から車で出たの。
そしたら あっという間に波が来て・・・」
パパが車のガラスを割って脱出して なんとか高台に登って、
見ず知らずの人の家(お医者様宅)に一晩お世話になったという・・・。
大変よくしてもらって、服なども貸してもらったそう。

よく見ると 彼女の頬や手には細かい切り傷が・・・。
私は 言葉がなかった。どんなに怖かっただろう。
ただただ、彼女達5人が無事でよかった。
それしかなかった。

るーくんは保育所時代の彼とはとっても仲良しで、小学校は別々だが
中学には同じになるのをとても 楽しみにしていた。
るーくんもびっくりして 彼と抱き合っていた。

いつしか 私たちは 顔なじみと会うと「生きてたか・・・?!」が挨拶になっていた。




つづく


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ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/12 03:18 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(2)
事後報告ですが、
文中リンクしちった…。^^;
[ 2011/12/14 08:57 ] [ 編集 ]
史さんへ
いえいえ☆
リンクしてくれてありがとうございます。
大歓迎でございます。

→にほんブログ村の地域ランキングをみると
やはり 記録を書いている方はいます。が、
わたしのように ダラダラ日記を書いている人は
あんまり居ないか(笑)
震災の記事をランキング参加することは躊躇しました。不謹慎かと思って。
でも 人気狙いじゃなく、あくまでコミュニケーションがとれたらいいと思ったから、参加しています。

ほんっと、こんなつたない文章ですが
記憶が薄れないうちに 書いていこうと思っています。
同じこと史さんのブログにもコメントしてきましたが、「後世に伝える」って程、立派なことは考えてなく、
もし 通りすがりでこの記事を読んでくれた方には
 今 防災の意識を持ってほしいと
願います。


[ 2011/12/15 04:33 ] [ 編集 ]
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