ごきげんな こるく NO/2

 管理人こるくがゴキゲンになることの日記。 震災の体験の記録も書き始めました。

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一晩明け 3月12日の記憶-その1。

とにかくあーねえちゃんと合流してほっとした。
家族5人が揃って、一安心した。
あーねえちゃんを車に連れて行ったら「え?この車、何?」・・・ 知らない車だと思ったらしい。
やはり、迎えに行ってよかったと思った。

朝 明るくなってから数時間。
車のガソリンがないことが すごく じれったかった。とにかく なんの情報も得られない。
かといって 他の人に「ラジオ聞かせてください」っても言えない雰囲気。
体育館でも まだ ラジオを流す様子もない。ステージには「本部」らしきものが出来ていて
人が数人ステージに座っているのが見えた。

私は、「非常持ち出し袋」を玄関に置いてきたことを 心の底から後悔する。
なんのために、手回し充電付き、ラジオ付きのライトを買ったんだ!
電池も一式入れてあった。ビスケット、生理用品、エトセトラ・・・
ねぇ私、家を出るとき「非常時」だったんじゃねーか?
あの時の私に言いたい。

とりあえず、5人で「これからどうする」の協議の結果、
中学校よりも高台に登った所にある、一番近いコンビニに行ってみることにする。
もしも お店が開いていれば 何か食べ物を買ってこよう。
お父さんとさーねえちゃんで買出しに行ってくれることになった。

だいぶ並んだそうだ。もう、ほとんど商品はなく、あるもので空腹しのぎになる物を結構買ってきてくれた。
ガム20こ位、スナック菓子2~3袋、スルメイカ小さい100円パック2~3袋、
500ミリペットボトルの烏龍茶、ジュース類数本。

ただ、長期化するであろうこの状況。学校の配給もどうなるかわからない。
5人で何日間すごせるのか。まったく足りないのは事実だけど仕方ない。買えただけラッキーだった。
これらを、こそこそと車の中の 外から見えない場所に隠すように置いた。
恥ずかしいけど、そうした。

誰かに見られたら、ガラスを割って取られるかもしれない そんなことも思った。

実際、わたしだって他の車から見えた「新聞紙」にさえ「いいなぁ」と思った。
それを、子供たちに掛けてあげたい。そう思った。

とりあえず 夜の寒さも尋常じゃない。
一度家に戻って、毛布とか使えそうなものがあれば持ってこよう。
そして じっち、ばっぱの無事を確認しよう・・・。
家に戻れるなら、戻ろう!と。

お父さんと私二人で下山(?!)することにする。

そんな話をしていたころ 偶然、私の父方の叔父といとこに遭遇する。
車を近くに停めていたのだ。
お互いに無事を確かめ合い、喜んだ。親戚でも、近くにいても、年に数回しか会わないのだが
この時ばかりは 知っている顔を見てホッとした。
そして、後に ここで偶然 叔父さんと会ったことが
私たち家族の今後の行方を変える事になるなんて この時はまだ思いもしなかった。



子供達を車に残して行動を開始した。

学校からまっすぐ坂を降りて行くと 下の道路にもう水はなかった。よし、行ける。
大きな流木が道をふさいでいてそこからは大通りにでられなかったので、
店の駐車場を横切って一本となりの道へ出ることに。
そこは泥んこがドロドロに溜まっていて足を取られながら進んだ。と、いっても数センチの高さ。
わたしはスニーカーっぽい靴を履いていたが大丈夫だったから。
今思えば そこで 靴が濡れないように歩いていたのが バカバカしくなるけれど。

坂を無事に降り、大通りに入る。
昨日 車で来た道を 今度は歩いて帰っているだけなのに
こんなにも 景色が違うものなのか。

坂をおりてすぐの交差点付近
ベニヤ板、製紙工場から流れてきた 巻き取り紙、古紙の巨大塊などが目に飛び込んできた。

道路の真ん中を歩く。
歩道は水たまり、泥だらけ。車が積み重なっている。中央線の所が一番安全だった。
今思えば、行き交う人たちみんな、道路の真ん中を歩いていた。
不思議と、車は全くないところと、脇に寄せられているところなどがあった。

歩いていると風景が変だった。いつもやっているはずの店はすべて閉まっていた。

大通りは水が溜まっているところは少しあっても、とりあえず普通に歩けた。

るーくんの小学校に入る所の交差点に来て、ぞっとした。
あの時いた 宅配便のトラックが、そのままに水没したと思われ、放置されていた。
その後ろには 玉突き状態の車の列・・・玉突き?いいや。重なって乗り上げている状態。
水もあるのではないか?道路が光って見える。
もし、あの時 私もここを車で曲がっていたら・・・。

小学校の様子がすごく気になった。
あの時会った仲良しのママは無事だろうか。
(後に連絡がとれ、家族全員無事でした)

交差点のコンビニを見た。
さーねえちゃんの自転車があるか一応見渡したが、姿形もなかった。

でも、とにかく まっすぐ進むことしか 考えられなかった。

しばらく家に向かい西に進む。
すると すれ違う人たちが、足にゴミ袋をテープで巻きつけて「簡易長靴」にしていたり、
長い棒を持って杖替わりにしているのが多くみられた。
水たまりをジャンプしたりしてよけていた私たちに男性が一人、声を掛けてくれた。
「この先、奥に行くんですか?」
「はい。」
「水がまだいっぱいありますよ、行けないかもしれませんよ」
と、教えてくれる。
「行けるところまで行ってみます」
お父さんはそう答えて、私も会釈した。
親切な彼はどうやって どこからきたのだろう。そう思うのに時間はかからなかった。
ちょっと進んだら、目の前が、一面水。まるで砂浜の波打ち際のように
水没地帯が現れた。

遠く前を見ても 茶色く濁った海水に覆われている。
せっかくここまできたのに。
自宅まであと200メートルもあるだろうか。
でも、見た感じ 高さはまだ靴が濡れる程度だった。足首位。

「よし、いくぞ!」お父さんは言った。そしてじゃぼじゃぼ入って突き進んだ。
私は もう、あとを付いてゆくしかない。

進めば進むほど 深くなっていった。
そして、氷のように冷たい。本当に、経験したことのない冷たさ。
まさか、通りを西に進むにつれて、被害がひどくなっているとは思わなかった。

足元が分からない。足しか浸かってなくても歩くのがやっと。
杖を持っていた人がいた事も、納得する。
膝より少し上位の水位だっただろうか。

家に行くには、大通りの途中の脇道を右に入る。水に入ってから
100メートル位の距離だがやっと、そこの入り口にたどり着く。

口があんぐりする。
本当に「あんぐり」って言葉がぴったりだった。
会社事務所と、コンビニの間を入って行くのだが、広い駐車場奥のコンビニが水没してる。
事務所のフェンスが上3割しか見えない。
大通りは少し高くなっていて、ほとんどの脇道は低くなっているのだと思う。

とりあえず、曲がる前に一旦休憩した。そばにあった軽自動車に お父さんは腰掛けた。
私も ガードレールに腰掛けた。
そしたら 風に当たって 濡れたジーパンが重くまとわりつき、とにかく冷たい。
二人で 「どうする?」と顔を見合わせた。
曲がるのに、覚悟が必要だった。

その時、
その近くの家から 「○○○○!!」と泣き叫ぶ嗚咽が響いてきた。
きっと 犠牲者が出てしまったのだろう・・・。
急に 家のじっちとばっぱが心配になる。
その嗚咽は 私たちの覚悟を早めさせた。

「よし、いくぞ」のお父さんの声で また ジャポンと浸かる。

今度はもっと冷たく感じる。二人でがたがた震えた。
 
脇道に入ったとたんに、一気に太ももあたりまで浸った。
あまりに冷たいので、事務所のフェンスをよじ登ぼって、つたっていこうとしたけど、
フェンスに足を引っ掛けることができず、断念。
ジャブジャブ歩いていると
少し離れた 横の方に何となく目をやった。

人が浮いていた。男性だった。60代か70代だろうか。
海の方から流れて辿りついたのだろうか。


でも どうすることもできず、前を行くお父さんに言うでもなく、
そして お父さんも気づいているのか、いないのか 何も言わず ただ前に進んだ。

近くにいた近所の会社の人たちが 窓から見て ざわめいていた。

いや、でもよくわからない。見間違えたのか。

この頃の事は 全ての目の前のことが理解出来るまで 何日間も時間が必要だった。

進めば進む程、水深が深くなる。お尻ギリギリ、なるべくつま先立ちで歩いた。
もう一つ曲がり角を曲がって やっと家が見えてきた。

周囲の家も水没しているものの、大きく破損はしていなかった。

地主さんの大きな家の2階の窓から「託児所のお母さんですかー?」と子供を抱いた女性に声をかけられた。
「違います~!!」と答える。大家さんの娘さんか、託児所の保育士さんか。
すると、とても残念そうに肩を落としているようだった。
大家さんである、この家に 近所の託児所の赤ちゃんが避難しているようだった。
親御さんと連絡がとれないのだろう・・・。一晩中 暗い中
小さくても預かる命の重さに 辛い思いをしていたのかもしれない。

前進し続け、家の前まで来た。
ベランダ側から 2階に向かって叫んだ。

「ジッチー、おじいちゃんー!!おばぁちゃんー!!」


二人で叫んだ。



ガタガタッ

窓が開いてベランダから ジッチが身を乗り出した。

「おーーー○○子!!○○ちゃん!!無事かー!!」


元気そうに私とお父さんの名前を呼んだ。

すると後から「え?うそ?!」と言っておばあちゃんが出てきた。

二人とも無事だった。

ほっとした。


P1000282.jpg

これは ジッチがベランダから撮影した写真。
防寒着や着替え、毛布を濡れない様に袋に詰めて 
自転車に乗せて また中学校に戻る様子。

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ジャンル : その他
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~

[ 2011/12/17 03:20 ] 震災の記録 | TB(0) | CM(4)
日常が一変した日だったんですね。
こるくさんにとっては、寧ろ、震災当日よりも。

>ねぇ私、家を出るとき「非常時」だったんじゃねーか?
>あの時の私に言いたい。
そうだよね、そうだろうな。
でも、「まさか」と思っていると言うのが事実なんでしょう。
昔、私がブログの記事に書いたように
飛行機事故の遺族が
「まさか、落ちるだなんて思ってなかったし。」
って発言してたように。

このパニック状態で暴動が起こらなかったのは、
本当に稀有な状況だったのだなぁと改めて…
[ 2011/12/17 17:30 ] [ 編集 ]
こるくさんの手記、とてもとてもリアルに伝わってきます。新聞やTVなどで放送されなかったことも手に取るようにわかります。
大変でしたね。でも、お父様とお母様が無事で何より。ほんとに、ほんとによかったですね。
食べ物もほんとに苦労されたのですね。今でももし力になれることがあったら言ってください。
そして、この手記、続けてください。
[ 2011/12/18 21:38 ] [ 編集 ]
史さんへ
そうなんですよね。本当に「まさか」なんです。
今になってようやく事の重大さを分かり始めているのかもしれません。
こうして文章にすることも、その一つの手段かもしれません。
ほとんど忘れていた事が多かったのが
書いているうちによみがえってきたり・・・。
パニック状態だったんだ、と言うことも、今だからこそわかるのかもしれません。
その当時の様にはもう 行動できないかもしれません。いや、できない。

暴動が起きなかった・・・人々がそこまで考えられる余裕もなかったという状態だったのかもしれません。
ところが、日数を重ねると同時に、非日常、恐いことが多くありました。後でUPできたら・・・。

[ 2011/12/20 03:09 ] [ 編集 ]
京女。さんへ
いやいや、手記ってほど大げさなモノじゃないので、恥ずかしいですが。
ダラダラと記憶にたどって書いています。
ただ、あえて「細かいこと」もなるべく書いておこうと思っていて、だから どうでもいいような事も書いています。
>とてもとてもリアルに伝わってきます。新聞やTVなどで放送されなかったことも手に取るようにわかります。
こういった感想を聞くと、逆に報道されていたことはなんだったのかと思ってしまいます。
きっと、津波の映像やなんかがすごかったのでしょうね。
正直、私なんか 他県の応援の方を見かけては「なんでここが大変だってわかったんだろう」
っていうレベルです(恥ずかしい)
電気がなかった、人によってはTVさえしばらくの間見ていなかったのですから、被災地の私たちは
いわゆる「震災特番」も全く見ていません。TVを見ていても気が休まることがなかったので
正直言って、ようやくTVの内容が頭に入ってくるようになったのは、最近の話です。

こうして話さなければわからないことも沢山あるのだと思います。
これからもできる限り、記憶を残していきますね。
マイペースになりますが(汗)
私は、綺麗事だけじゃなく 記録として実際にあったこと、したことを正直に書くと思います。
綺麗なことだけ書ければいいけど
そうじゃない事の方が沢山あるかもしれないな・・。
[ 2011/12/20 03:36 ] [ 編集 ]
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